6月16日を思い出せ
6月16日、去年のことである。ホテルのパーティ会場でのこと、この日は蒸し暑く、おまけに一駅前でおりてしまい、この暑さの中歩いてパーティ会場へ行きました。もう既にパーティは始まっておりました。隣の建築屋らしき人はビールをがぶ飲みしていました。立食パーティですがどういう訳か、つまみとか料理には全然手をつけず、話をするか飲むかです。こちらも誘われるままというか、炎天下30分は歩いたので、ビールだけを注ぎあいました。かなりのビールを飲みました。
別のテーブルから名前を呼ばれ、そのテーブルにいく。日本酒で盛り上がっていました。冷酒を飲みながら話が弾みました
結局、何も食べずに飲んでいたわけで、どれぐらい経ったか時間はわかりませんが、クーラーは利いているのに汗がたくさん出て暑くてたまらず、そのうち気分が悪くなり、ロービーへでようと歩き出して記憶がありません。
気がつくとパーティ会場の人たちの顔が見えました。
背広はどこかに消え、ネクタイも外され、胸ははだけています。照れくさそうにロービーに出て話をきいてビックリです。
どうやら突然たおれて、意識が無く、脈もなく、心臓も止まっていたようで、パーティ会場にいらしゃた内科の先生に心臓マッサージをしてもらったと言うことで、ビックリです。そのうち救急車がきましたが、正気にもどったと言うことで帰ってもらいました。(パーティ会場の皆さん、その節はご迷惑をおかけいたしました)
驚くことは、私は倒れたことも意識していません。歩いたところで、記憶がないわけで、そのまま息がなければ倒れたことも知らずに死んでいくのです。何の苦しみもなく、痛みもなく何も知らずに死んでいくのです。
私は高校時代、死の恐怖を意識したもので(精神的な)、暗闇の中での孤独、無の中でありながら自分だけ意識ある恐怖など、自分が無になる恐怖です。
しかし、6月16日、記念すべき日、倒れたことすら知らずにこの世が終わる。本当に何もなく終わることが実感できたわけです。
臨死体験とか三途の川はありませんでした。電源がきれたという状態です。死は本当に何も無いというか、無いということの認識すらないのです。本当に何もないわけで、死における意識を持つなどと言うことはない。
やはり、生きている内にやれることはやらなければつまらない。損である。
メモリー モリ。 ラテン語で『死を思え』。いい言葉である。
兎に角、生き返った人生、もう一花咲かせましょう。 |